自分に課す条件は少ないほうが良いし、減らすほうが良いんじゃないかな?と思うことがよくある。
- XXしなければXXしてはいけない
こういうルールを自分の中に増やす癖を持っていると、生きづらくなるし、つらくなることばかりだと思っている。ほどほどには必要かもしれないけど、条件に囲まれていると何もできなくなる。
言い換えると、なかなか行動を起こせない人はクリアすべき条件が多すぎるのかもしれない。
ちなみに…
このような条件付けをすることを、オペラント条件付けと呼ぶそうです。
報酬や嫌悪刺激(罰)に適応して、自発的にある行動を行うように、学習することである。行動主義心理学の基本的な理論である。
条件付けが行動を縛っている
条件をクリアすれば何かが手に入るというやり方は効果があるとは思います。
自分もそういうものになじみが深いため、無意識的に条件付けをして自分の行動をしばってしまっています。
それによって勉強を頑張ろうとか、トレーニングしなければという正しい動機付けになるとも思う反面、中には理にかなってない条件付けがあったりするのかな?とも思うわけです。
条件で世界を見る
僕自身が一番の条件付けとして残っているのが「稼ぐ」という条件です。何事においても”稼ぎ”を目安にした条件付けをしている自分が居ます。
それは稼げる仕事なのか。その人は稼いでいるのか。
稼ぎというフィルターでしか世界を見れない自分が居たことがあります。
それを認めるには稼ぎという条件をクリアしていなければいけないという条件付けが自分の中にあるわけです。
何かを判断したり感じたりするだけでも、XXでなければXXではないという条件付けに縛られているのです。
無条件でOKもある
XXでなければXXではないという条件、合理的なようで実はそれほど合理的ではありません。
その理由の1つに、何事にも条件を探してしまう癖がつくという部分があります。その結果、条件を再生産していくこともあります。
これが結構厄介なんじゃないかな?と思っている。
やらない理由として条件を生み出す
行動に条件付けをする癖があるせいで、やらない理由として次々に条件を生み出す。これはよくあるんじゃないかな?と思っている。
例えば、好きな人に告白をしない理由として、相手には恋人がいるから無理とか、相手には好きな人がいるから無理とか、自分は不細工だからとか。
そういう理由は最もらしく聞こえる。でも、その理由が排除されたら行動を起こすのか?となると、多分やらない。「でも、XXだから」という構文で新しい理由を作ると思う。
なぜなら、怖いと感じる対象に対して、条件付けで行動を抑制すつつ正当化する癖がついているからです。
相手に好きな人がいても、恋人がいても、思いを伝えてはいけない理由にはならないのに、それを条件として掲げる。そうすることで、そうしない今の自分は間違ってないと正当化できてしまいます。
その条件がクリアされてしまうと行動を起こさない自分は間違っているとなってしまうので、行動しないことを正当化するために条件を作り出す。この繰り返しになると思うんです。
行動をするための条件のつもりが、実態は”行動しないために条件を理由にする”となっているなんてことはよくあると思うんです。それが癖になっていたりもするはずです。
条件付けをしている自分に気づき、正しく条件付けできるようにしないと行動がいつまでも起こせないままで人生が終わるなんてことになるんじゃないかな?と思うんです。
条件まみれにハマらないために
強くやりたいと思うことほど失敗したくないと思うモノ。失敗したくないと思うからこそ準備が必要なのもわかるし合理的だと思う。
ただ、求める何かが大きなものであればあるほど、大きな条件をクリアしなければいけない気がしているようにも思う。
- 好きな人に見合う絶対的で最高なステータスな自分を作るまで、踏み出してはいけない。
こんな感じで自分に鎖をがんじがらめにするってことは多いと思う。
そして、何とかハードルを越えたとしても、次は重ねた努力を無駄にしたくないって理由でより高い条件を作るようになり…とループ化して、いよいよ抜け出せなくなるとも思うんです。
まず少しだけ前進する
そこで大切なのは、まずはつま先だけでもいいので、少しだけ前に出るってことなんじゃないかな?と思う。
好きな人に急に告白をしなくてもいい。今の自分でできることを1つだけやってみる意識でいいと思う。
挨拶をする、褒める。そんなところで小さな行動を起こしてみる。
そして、同時進行で自分を磨いていく。行動と準備の両輪で回していく意識や計画が大切なんじゃないかな?なんてことを思う。
具体的かつ合理的な条件付け
さらに言えば、条件を具体的かつ合理的にするというのも良いんじゃないかな?と思う。
よく、”○○歳までに成果が出なければ辞める”みたいな事を夢を追いかける世代の人が言うのは、非合理なようである意味で合理的です。その条件に合致しなければ続けないという撤退条件を設けることで、人生を無駄にせずに済むかもしれませんので。
しかも、数値化されているので具体的でもあります。
こういう、具体的かつ合理的な条件なら設けるという条件を設定するための条件の設定も大切なのかな…と思います。
つまり…
ゼロ行動の状態で行動を起こすための条件を作ると動けなくなるし、動けない状態が強化されていくので…
- 今すぐにできて、目標に繋がる小さな行動を始めてみる。
- 合理的かつ具体的な条件を建ててみる。
こういった視点で、慎重な条件付けをすべきなんじゃないかな?と思う。